昭和40年1月9日 朝の御理解
「問題を問題として」という、申しますね。お道の信心の、おーあり方はその問題を問題として信心にそれに取り組んでいくということ。問題を問題として取り組んで、その問題がどうぞ解決の、を見るということをただすがっておけ、願っておけということではないという事ですね。それに取り組むということは、その問題について起きてくる一つ一つのいわゆる事柄をです、信心、実意を持って、えーそれに取り組んでいくということだとこう思う。一つの大きな問題だったりいたしますと、それがやはりその難航をつづけます。様々なところを通って、そして本当んところへ、いわばこげなおかげになろうとは思わなかったといったようなところに、おかげが漕ぎ着けられるという、その難航を続けるそこんところを大事にして行かなきゃならん。船は帆任せ風任せといったような事をもうしますねー。船は帆任せ、風任せである。神様任せと。神様任せは親先生任せと。いうように、まー一つのことの場合、そも任せ切って、神様におすがりさせて頂くというわけなんですけれども、なら、満風を帆にはらんで、その出発いたしましたその船がです。難航を続ける。時にですね、一度帆を下げなければならないということがある。このまま行ったんでは本当のおかげにならない。けれどもその真ん中までは、もう後にも先にも、引きもさしもでけないようなところまで行くからこそ、その問題に命がけで取り組むことである。その辺が神様の、働きのいうならばみそだと私は思うですね。その問題をおすがりをする。そしてお願いをして、その満風を帆にはらんで、いわば沖合に出た。いよいよその風を受けてそのなら、海中の海の真ん中に出たと。ね。そこであたくしどもはいよいよいわば度胸もできれば覚悟も出来る。それでもそこでです、帆を畳まなければならないというようなことに必ずなってくる。そしていわばそこで静かに考えて、あーこれはちっと方向を間違えておる。ここんところに今日私は、神の、神様の特別な働きを感じるですねー。度胸を作らせてくださるですねー。海の真っ只中で。問題は、神様が求め賜うのはその度胸なんです。ね。そしてそこで色々冷静に考えてみる。そしてそこで本当の生き方が分かる。本当の生き方が分かると、また改めて帆をいわばそちらに向くところの、風を待って、自然の働きを待って、また帆をあげる。そすと今度は、右に進みよったのが今度は左の左の方へずーっと進んでいくといった、これがまたその、曲折を極めてですね、いくかもわかりませんけれども、そういうようないわば経路を辿って、こげーな風におかげになろうとは思わなかった、しかも高柴さん(タカシバ)じゃないけれども、四方丸く治るような、こういうようなおかげになってくるとは分からなかったというようなおかげ、人間の世界、それから先は分からんおかげの世界が展開してくるのです。お互いの問題の場合でもそうなんですよ。お願いをしてから一直線にスーーーっとそこへ進むといったようなことは、何故いけないかと言うと、そこが生身ですから、人間ですから、途中、海の真ん中で度胸をすえるということは、これはちっと俺が間違っておったと言うようなそこに、改まりというかね、いよいよ限りなく美しゅうならせていただいてから、そこんところでまた次の風を待つといったようなことになってくるもんです。おかげというのは。その問題が大きければ大きいだけそうなんです。ね。いかに円満に円うとこう言うとってもです、つきたてのお鏡餅をです、ならこうならこう重ねますよ。上んとは良かろうばってん、下んとはびっちゃげてしまうじゃないですか。ね。ここにやはり、4、5日なら4、5日。3日なら3日こう置きますとです、これは両方とも丸く固まってくる。ま固まっとるやつを重ねて、いわば紅白、一重ねのお鏡餅がでけるようなおかげならおかげにならなければならんのです。どうですか皆さんの意味が分かるですか?皆さんが持っておる問題だっておなしこと。樺目自体が取り組んでる問題だっておなしこと。そこをで背。問題に取り組むとはそう言うような、そのところを頂いていかにゃいけん。ね。難航を続けておったのが、ちょっとここにふんなら行き詰まりなら行き詰まりを感じた時にはです、まず帆を下げなければいけない。このまま押したくって行きよったらやり損なう。押したくるのじゃーない。ここど一つ冷静にもういっぺん、自分というものを見極める。そこにお鏡さんならお鏡さんとしてです、ね、両方が都合よう具合に、丸くついて、初めから丸く円満にというておってもです、やはりそこは人間であるからまだ柔らかい。そこんところを固まったのが、一重ねの紅白のお鏡餅といったようなことにならなければならない。海の真ん中にです、はー自分の我があった。ねー。自分の汚い根性がその中に入っておった。これでは神様におすがりしてもおかげにはなるまいと言ったようなものを私どもが取り除かせて頂きながら、そこで冷静に、次に吹いてくる風を待つのである。そこにまた満風を帆にはらんで、また今度は一直線に進んでいく。それがまたそういう風なところに、そうして行きながらです、おかげの方に飛び出した時にはあたくし達の心の中というものが、その問題に取り組むたんべんに、清まっているのである美しくなっておるのであり、いろんな例えば人生の勉強というものがです、出来るわけである。神様の思いの深さもそういう時に分かるのである。ね。そういう時に、例えば海に真ん中でです、いよいよ自分を、覚悟を決める。度胸を据える。自分をいよいよ虚しゅうする時である。ね、一つの大きな問題に取り組むとか、例えば樺目の問題なんかそうです、総代幹部を始めです、ねー。15年祭なら15年祭という大きな問題を目指しとして、その間に、記念祭に向かって様々なことが問題になってくる。その問題を一つ一つ神ながらということは、一直線にさーっとおかげになると言った意味のことじゃない。そのおかげになる過程が素晴らしいということである。その過程にです、あーそれはこちらが間違っておった。ここは改まらなければならない。いやここに本気で度胸を据えなければならんというようなところを通らせて頂くことが有難いであるのである。実は。
昨日、青年部会がいつも2階で開かれる。もう久しゅうその青年会の雰囲気というものをしらなかった。昨日も24、5名くらい集まってたでしょうか。男女合わせて。あたくしはその雰囲気の素晴らしい。やはり信心あが勢いだっているというか、信心が進んでいっておるというのに驚いてしまいました。あたくしはこっから昨日は、昨日は新年で、善哉会なんかもございましたけれどもですね、その善哉会になってもですね、ひとっつも無駄がないですね。これにはもう驚きました。あれはもうあとはもう茶話のように、善哉話になってしまうのですけれども、もうそんなら(?)ここに(?)頂きましょうかと。そしたら頂いたらです。次にはもう片付けたらもう、次の共励にうつっとります。ねー。そして会長が11時になりましたから、これでもう一応閉会いたしますと。いうようにしてからです、もうその辺の、なんていうですかね、私はほんと頼もしいことだと思うたんです。中に発表しておりましたのが、この新年の初夢の発表をしてました。えー喜朗(ヨシロウ)さんでした。これが樺目の47志だという人たちがその、集まっておるというんですね。中には全然見覚えのないと言った人達もおるちいうのです。親先生先頭に。そしてさあこれからいよいよ腹を切るぞとおっしゃておられる。それでまー切る気のないものは、今のうちにまー10ふんか15分か、まー時間を与えるからよく考えて立つ者は立てと言われたところがです、中に二人の人達が立って行った。そしてさああたしの腹の切りようば見ておけというてから、その先生が腹を切られた。それがひとっつも痛くなさそうな腹の切り方。あげなつなら誰でん切れるぞと言うてその、みんながその真を固めておるところ。そして立ち上がって行った二人をですね、ある人が立っていって後ろからさっとその刺し殺したと言うお夢だったそうです。後ろからされたんじゃ嫌ですねー。これはどう言うことだと思いますか。今いうごと、いわゆるいよいよほぞを固めるというか、いわゆる自分というものを虚しゅうするということだと。自分を無くすということだ。それが一つの問題、過程の入り口ん時にはなんでもないようだったけれども、沖に出れば出るほど波が高うなってきた。風も吹いてきた。しかしこの風を利用して、その帆をあげた。満風をはらんだ。それが一直線に進んでいった。ところがどうもそこに一つの行き詰まりを感じた。おかしいぞと帆を落とした。そのいわばそん時船はぐるぐる回っておる時であろう。難儀の前を通る時であろう。時に考えた。それはそげな生き方では、自分が本当ではなかったなと。たとえほんなら総代でも総代がです、一つのお広前の問題を取り組んでです、それに取り組むと、あたしたちがあん時にはこげな風にしたと、あたしたちがこげな風な御用をさせてもろうたと言ったようなです、我があったんでは、これはいけませんね。いついつまでもです。あん時はと、それが人がいうなら仕方がない。あん時の総代さん方はほんとに素晴らしいことをなしておられたと、手本になるような御用をなさっておられたと、後々のものがいうのはいいけれども、あん時のじゃーあたしだん(?)こうしたんだ。ああしたんだと言ったようなそれはいけません。ところがお互いの心の中にそういうものがある。そこんところをいわば抜きにして、いわゆる自分というものを虚しゅうして、真心一途神様一途にならせて頂くということもです、そういう一つのあれを虚しゅうした真心が、そういうことになってくる。それがどっこい海の真ん中でだということなんです。ここでそうだと思うて改まらせていただいて、お互いが清まった心をもって、お互いがまた一段と進むところにまた方向の違ったところの風が吹いてくる。また帆をあげる。そしてまた進む。また難航を続ける。また改まる。また清まる。また難航を続ける。そして夢にも思わなかったような港に着かせて頂くのであり、そういうことになる。そこんところをです。たとえば円満にとか、四十、四方まん丸と(?さん)が言っておられますようなです、ていうようなことでもです。ね、つきたてのお餅ではです、なら上の方はよかろうけれども、下の方はびっちゃげてしまうというようなことではいけないという。必ず一つの問題というのはそんなものだということ。ね。そこであたくしは思うですね。
次にこれは清(キヨシ)さんが発表しておられました。(?さん)が今年の初夢をいただいた。それがお夢の中だけれども、ずっとお声を頂く。それが三回続けて富の寿、富の寿、富の寿というて頂くそうです。お酒の名前ですね。久留米地区では一番最高の酒と言われております。その富の寿をです。途中切れ。